シングルマザーのまよい道

2人の子どもを育てる40代シングルマザーのカオスな毎日、奮闘記です

親との関係②

こんばんは、Emilyです。

前回の続きです。

 

中学時代の反抗期からずっと両親とはイマイチな関係でしたが、不仲を決定づけた出来事がありました。

 

今から約20年前は就職氷河期で、ちょっと前の、2~3個上の先輩なんかは大手に就職できて当たり前で、

よそにとられないよう就活生が接待してもらえるような時代だったのに、それが一転、

どこも新卒採用を控えててこのままじゃ大学出てもフリーターするしかないんじゃない?みたいな時代。

 

父は大手に勤めていたので、就活を始めたばかりの頃に「コネとかないの?どっかあるならよろしく~」

というようなことを言いました。

父は人事に話を通してくれ、事務職で試験を受けさせてもらえることになりました。

コネを頼んだ時はとりあえずつながりそうなものは全部声掛けておこう、くらいの感じだったのですが、

就活を進めていくうちに自分のやりたいこと(専攻が情報処理系だったのでSEとかプログラマー

で就職したいという気持ちが強くなり、父に頼んだコネの件は辞退したいと言ったのですが、

父としてもこちらから頼んでおいて今更そんなことはできない、とりあえず試験は受けろ!

と聞き入れてもらえず、でもすごい倍率なんだからどうせ落ちるでしょ、

という気持ちでコネのほうも試験や面接を受けていました。

 

コネのおかげか最終面接まで行ってしまい、でもその過程でどんどん「事務職なんて嫌だ、SEになりたい」

という思いを強めていく私。そんな中コネのほうから合格をいただいてしまいました。

で、やっぱり辞退したいと父に言ったのですが、

「(波平風に)ばっかもーん!!そんなことできるはずないだろうが!!!!!

このご時世に大手に就職先が決まっただけありがたいと思え!」

と言われて真っ向から対立。何度も話し合うも決裂。

どうしても辞退するというのなら今すぐ荷物まとめて出ていけ!!と言われ、

今思えばそこに居るものを首に縄かけて引きずり出すなんてできっこないんだから、

出て行けと言われてもそんなの無視して自分のやりたいほうに進めばよかったのですが、

当時は毒親に心身ともに追い詰められ、お金もない就職先も決まってない世間知らずな私が

一人で何もできるわけがない、と泣く泣くコネ入社を決めました。

 

20年以上たって親の立場になってみて今思えば、そりゃその時点でSEとしての就職口が決まっていたわけ

ではないんだし大手に入れる切符もらったのにそれ蹴るなんて絶対バカだよ!と思うのですが、

その時はまだ、自分には可能性があるかもしれないのにどうして就職まで親の言う通りにしなくちゃ

いけないの!自由にさせてもらえないの!私の人権はないの!?と悩んで悩んで泣いて泣いて。

卒業までの半年は廃人のように過ごしていました。

 

軽い気持ちでコネを頼んでしまった自分が悪かったとは思います。

けれどその後辞退の申し出を聞き入れてもらえなかったこと、それは純粋に私のことを考えてというより、

自分(父)のプライドや立場的なことを優先してだったことが今振り返っても許せません。

 

女は名のある企業で数年事務職やって高学歴高収入の男性と結婚して仕事を辞め家庭に入る、

これぞ幸せという古い価値観のもと、それ以外の道を進もうとすることを理解しようともせず、

私がやりたいと言っているSEやプログラマーなんてどんな仕事かもわからない、不安定に決まっている!

という決めつけ。

そりゃ当時コンピューターの世界なんて今より遠い存在で、海のものとも山のものともわからなかった

だろうけど、それにしても話も聞かないでそんなものダメだ!と決めつけるその姿勢が許せなかったのです。

 

この時に「就職したらお金貯めて一刻も早くこんな家出てやる」と心に決め、粛々と貯金に励み、

就職後1年で家を出ました。

 

今は他県に住んでることもあり、会うことはほとんどなく適度な距離感でやっています。

会わずとも関わると喧嘩になったり何かしらトラブルになるのでこちらからはなるべく

関わらないように努めています。

現在のように何も揉めてない状態で子育てに悩むことがあると、

自分は何不自由なく育ててもらったんだな、お金のことで困ったことがなかったのは親のおかげだな、

という感謝の感情がわくことがあるのですが、ひとたび関わるとそんな気持ちがふっとぶくらい

不愉快になり、パワハラで苦しめられた過去があれもこれもと蘇ってくるのです。

憎むのも疲れるのでそんなことに体力使いたくない、ワンオペ子育てで精いっぱい。

適度に距離を取りながらうまく付き合っていこうと思います。